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テレビとかいうオワコンでマイクロファイバーとして働く

弱小吹奏楽部のキャリアパス①学んだのは妥協と老害の存在



吹奏楽部はキャリアパスがない!吹部の実状について

togetter.com

ということで振り返ってみる。

強豪校じゃなくて弱小なんだけどね


中学→

弱小。C編成。

昔は金賞も取ったらしいがここ数年ずっと銀。

運悪く有名な先生が他校に転任したタイミングで入ってしまう。

和太鼓をやっていたのとドラムがやりたいという理由でパーカッションに。



2年生のときにマーチングなら初心者賞で県大会の先に行けると勧められちょっとだけ練習するが3年生が「文化祭ちゃんとやりたい」とグズったおかげで消滅。都会に行きたかった。

3年生の時、部活紹介で毎年なぜかふるさとを演奏していたのを辞めて999に変えたところ30人1年生が入る、

(なお2年11人3年14人くらい)

マーチングはもう忘れた、

というか顧問と副顧問が何故か入れ替わった。家庭の事情?



あと個人的には役職があったり

今思うとおそらく発達障害であろう問題児の後輩がパーカスに入ってきたのでその面倒にかなりの労力を使うことになった。



普通はリズム感無いなとか、力んでるとかそういうレベルから始まると思うのだが

じっと集中してスティック練習をする、同期にちょっかいを出さない、他のパートに遊びにいかない、みんなと一緒に行動する

という次元なのでかなり大変だった。

コンクール当日も予め口酸っぱく言っていたのに単独行動をして一時行方不明になり怒鳴ることになった。



表で一緒に演奏できたのは引退する文化祭のステージだけだったかもしれない。その頃には一応コントロール出来るようになり指揮にも合わせられるようになった。

担任公認とはいえ結構キツいやり方ではあったが。



曲も毎年何曲か聞いて決めていたのに(大体シェイファーという人の曲)

この時だけ何故か決まっていて、

なかなかショボい曲になった(タイトルも覚えていない…今調べた!吹奏楽のための民話、シンプル過ぎて物足りなかった、もっとギャンギャンやりたかった)



結局在籍してる間はずっと銀。



この1年生たちはなんやかんや25人くらい残り、3年生時に久々の金賞をもたらす。えらい。



笑うなかれ、ドラムセットは銅のない練習タイプの奴なのだが

市の文化祭では他校のドラムを叩けるのでやっとまともなドラムが…!と思っていたらインフルで中止になった。ちーん。



高校も最初は吹奏楽で決めようと思っていた。公立でそれなりに強いところ。楽器のランクも上がるだろうと期待。

ということで親の母校の商業高校に行こうとしたがそんなことで決めちゃダメ!とめちゃくちゃ反対され、偏差値に合わせて地域の進学校へ。振り返るとこれで正解。



都会の私学だと野球部と共に吹奏楽部にも力を入れてなおかつ進学率も頑張るみたいなところがあるけど

田舎には…いや少なくとも自分の出身の県には無かった。



それでも偏差値中の上ぐらいのある私学がここ数年吹奏楽に力を入れており吹奏楽推薦があるらしいと聞いていたので

進学後に中学の顧問に「そういえば誰か推薦とか実は来てたみたいな話あるんですか?」と顧問に聞いたら「うちはない」と言われ吹奏楽推薦なんてあってないようなもんだなと思った記憶がある。発表する機会がそもそもないから評価しようもないし。



高校→やはりC

ということで勉強第一の学校に行ったので当然楽器はボロボロ。

2年で引退して3年は勉強に集中。



経験者と初心者の差が大きい。勉強優先ということもあり塾のある日は参加しないなんてこともザラだったので

雰囲気は基本ゆるく、先輩が厳しく指導することもないのでフォームがガタガタの初心者もそのまま放置されてしまう。

同期だと更に指摘しづらく、癖もついてしまっていたので更に不恰好な感じになってしまい「あらー…」と思いながらも指摘できなかった。もう直らないし、喧嘩したくないし。



中学よりも高校のC編成のレベルはなかなかアレな感じだったのでどうせ同じ銀でもBで戦いたいという話になる

が、

同期が33人もいたので弾かれそうなパートが猛反対で消滅、思い出づくりに2回目の敗北。



最大の敵は外部監督のジジイ。典型的な老害だった。

楽器を沢山持っていて貸し出していたので指揮と楽器という全権持っていた。

完全な気分屋で少しでも気に入らないことがあると練習をしない。

また部員をキャバクラと勘違いしているのか好みの女とそうでないやつで対応が変わる、というか好みの女のいうことしか聞かない。好みの女には何故か個人で連絡する。好みの女のいるパートだけ楽器が増える。



パーカスの女子にもお気に入りだったのだが何故かバリサクのリードの件で連絡が来ていた。機嫌を損ねるわけにはいかないから生徒はしぶしぶ対応する。不毛。高校でこの理不尽を学ぶ羽目になるとは。



曲も自分の気に入らないものは演奏しないので、あんま覚えてないけどふるーいメドレーをやった。

また楽器の扱いが酷い、特にパーカスの扱いが酷く、箱を返して小物を床に落としやがった。何のためらいもなく。



ある日、部室が狭くて屋外(しかも校舎建て替え中のためゴツメの砂利の上)で練習した際に配置を変えると言って強引にティンパニーをガリガリと引きずった。

元からボロボロでペダルのガイドも当てにならないクラスのものだったので「やめてください!」と抗議したところ逆ギレして「やってられるか」とタクトを投げて何処かに行ってしまった。涙が止まらない。

同じパーカスだった部長と、副部長2人が泣きながら説得しに行き、結局戻って来たが、あんなに人を憎んだことはない。

正直あのジジイを慕う部員は存在しなかったので、変えようとしたが

顧問は門外漢のため「探すなら自分たちで探せ」当然そんなツテはなく、部長がなんとか昔のツテを辿るも距離的に無理だと。楽器の問題もある。どうしようもなかった。



そのジジイは数年後、長い癌との闘いに負けてお亡くなりになったが、正直言って嬉しかった。



何かあるとすぐに言っていた、県では偉いんだとか淀工の先生と知り合いだとか。

そんなの知るか。

淀工なんてレベル違いすぎて視界に入らんわ笑



もうこれであの理不尽な指導を受ける生徒はいない、それが嬉しかった。人の死で喜ぶのはこれが最初で最後だと思う。

卒業後どうなったかは知らないがコンクールに出てはいるみたいなので部は存続しているんだろう。

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幸い同じパートのひとたちは良い人ばかりで尊敬できる人もいた。

コンクールのことはあまり覚えていない。2年の曲がまたもやスネアのしょb…シンプルな曲で今聴き返しても音的には目立つしアクセントは面白いけど結局8分だしなっていう感じだった。(NOVENAという曲です)

もっと風呂敷の広い曲をやりたかったです。こじんまり。



あと許せないのは他校から降って来た甲子園応援のチャンスを顧問が「模試の日なんで」と断ったことかな。模試はあとでも受けられるけど甲子園応援は2度とないのに。地方公務員の融通の効かなさも学んだ。



部活の強い学校が羨ましかった。

思い出づくりなんかに足を引っ張られれることなく、ただただ己の技術を研鑽できる環境、レベルに見合った指導者と楽器、知識を持つ先輩。



中学の時は先輩の知識が全てで、それ以外を学ぶ機会がかなり少なかった。前の顧問ものだろうか、少し前の吹奏楽雑誌があったけど読む人はほとんどいなかった。

当時はまだガラケー世代で(魔法のiらんどとか前略プロフ末期)

家にインターネットはあったものの参考にできるサイトも動画もあまりなかった。

そのため知識が圧倒的に不足しており、顧問も自分のやっていた楽器以外には興味も知識もあまりなかったので何が正しいかも意識することなくやっていた。



しかし先輩のやり方に異議を唱えるというのは文化系とはいえなかなか厳しいところがあり

自分の代になってから先輩のここおかしくね?と思って調べて直したものがいくつもあった



・フラムを普通に同時叩きしていた(パラッじゃなくてジャン)

・タンバリンのロールを全てシャカシャカでやっていた

(親指を使う方法をやっていなかった)

・スネアやバスドラのチューニングをしていなかった



まともな吹奏楽部の方ならギャグかな?と思うかもしれないが

残念ながらマジである。(スネアのチューニング器具は探したら見つかったので昔はやっていたがどこかで途絶えた可能性がある)

あとスネアのロールとかも先輩にならい思い切り打面に押し付けていたが、自衛隊の講習に行った時に指摘されて直した。



自分の正義だと思ってドヤ顔でやっていた方法が間違っていると言われた時の恥ずかしさたるやなかなかのものである。



そもそも、地域で違いすぎるんだよね。レベルが。